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フィギュアと模型と光の剣をレビューするブログ

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『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』は紛れもない青春譚であるという話 

先日、降りしきる雨の湿気で蒸せかえる書泉のフロアで、僕は店員に向かって口に出すのもためらう書籍タイトルの入荷の確認を取っていた。その時は大真面目に口にしていたが、今思えばこんなタイトルを付けた書籍は"罪"であると言わざるをえない。

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我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか。 パワーワードの連続に眩暈がする。

今でも店員の上ずった声とドン引いた顔が目に浮かぶ。こんなタイトル買いまっしぐらの書籍は存在そのものが"罪"なのだ。ドラクエの攻略本が出る度に、エッチなしたぎのイラストを拝みに書店へ走った記憶がフラッシュバックする。それは青春でしか成立し得ない衝動だ。

話は80年代真っ盛りの中、筆者がうる星やつらのラムちゃんに魅了された行から始まる。そもそも僕は著者の廣田恵介氏とは世代も違うし、うる星やつらも中学生あたりの時分に、夕方4時半からやっていたテレビの再放送で知ったクチだ。高橋留美子のマンガに限れば、僕はらんまや犬夜叉の方がリアルタイム視聴の世代だし、当然ながらこれらのタイトルに出てくる女の子の魅力は強烈に焼き付いている。それでもうる星うやつらの作品としての偉大さはその後知ることができたし、放送当時のブームや熱気は今なお立体化される機会があることからも推し量ることができた。そういえば夕方の再放送でうる星やつらを見た時も、ラムちゃんのあられもないセクシーな姿や、時々映る(当時だからこそ許された)サービスシーンがいつ来るのか、テレビの前でハラハラしながら見ていたっけ。
そんなことはどうでもいい、と切り捨てたいところだが、この「我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか」という罪な書籍には、この手の青臭い記憶とすこぶる相性がいい。筆者が青春時代に感じた「プラモと性への衝動」が重ね合わさり、そこから話は模型業界著名人らが手掛けた当時の美少女を模した模型の「パンツ事情」へと舵が切られていく。
これが大真面目に語られている分、性質が悪い。世代は違うとも、模型というマテリアルを通じて、そして何より自分も"男子"であるという時点で、筆者が折り重ねてきた「模型とパンツの葛藤」が、読み進めていく内に手に取るようにわかってしまうのだ。さながら中学生男子が修学旅行の夜に語る壮絶自慰の体験談だ。


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▲時代の流れに翻弄される「パンツ」の造形、それらを貴重な資料の数々で辿る。


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▲プロモデラー・秋山徹郎氏が至言をぶちかます二章は必読。「フィギュアの商品価値として、パンツは絶対に彫ってあった方がいい」

そういえば、自分が初めて女の子のフィギュアのパンツに欲情したのは、アルターのメイドセイバーだった。 あの時の衝撃は忘れない。凛としたセイバーのメイド姿のスカート。元がアダルトゲーム出自のキャラとは言え、そのスカートの奥にはゲームのイラストとは比べようにもならないくらい、とんでもなくリアルな世界が待ち受けていた。廣田氏のラムちゃんが、僕にとってのセイバーだったわけだ。
誇張もなく廣田氏自身がぶつかった「模型とパンツの葛藤」が延々とこの本には詰まっている上に、挙句の果てに商品開発に携わった人間をも巻き込んでの模型パンツ論が展開されている。 ついにはMAX渡辺氏も登場しての貴重なパンツ談義が繰り広げられ、最終的に何だかいい話になって終わる。ここまで来ると、筆者とMAX氏の青春を垣間見た気分にすらなる。ただそれは読み手の世代によって辿る記憶は変わるし、それでも最終的に行きつくところは同じ、という構図が実に痛快だ。ここに書かれた筆者の経験は、容赦なく我々読者の記憶に重なってくる。もはやこれは模型パンツの皮を被った小説である。だから僕はこの書籍を製作した人々へ、そして何よりも模型フィギュアに彫り込まれたパンツに魅入られた当時ティーンの自分、そして十数年経った今も全く同じ自分への宛て付けに、この言葉を送るより他にない。

『おまえがパンツを覗く時、パンツもまた等しくおまえを覗くのだ』 
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