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『シン・ゴジラ』に思いを馳せる人は空想特撮科学の夢を見るか 

戦後日本が生み出した破壊の神。キングオブモンスター・アイコン。だが、今我々が空白の時を経て見ようとしているこの巨大な生物は何だ。

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シン・ゴジラに物語はない。 ラブロマンスも、超能力を持った少女も、未来からタイムワープしてきたメカも存在しない。あるのは形式立ったテキストと、現代技術を駆使した戦略。そこに庵野監督のテイストがちりばめられた、今世紀最大に面倒くさく、とてつもない情報量を持った恐ろしい作品が、シン・ゴジラである。

初代ゴジラがスクリーンで生まれてから今に至るまで、いくつものドラマがあった。放射能を撒き散らす恐怖の怪物でありながら、時代の流れに翻弄されて子供向けにフォーマット化されるにつれて興収は落ち、採算が取れない映画会社の足切りにゴジラは眠りについた。
平成に元号が変わる直前、ゴジラは再び目覚めた。従来のVSシリーズというスタイルを取り入れながらもより進化した特撮技術で毎年作品を制作し、90年代の終わりに最初のゴジラを葬り去ったオキシジェン・デストロイヤーの名を冠する怪獣と激突。自らをメルトダウンさせながら、ゴジラ第二期は幕を閉じる。
以降、マグロを食べる奴が海の向こうでちょっと暴れたりしたが、めでたく2000年を迎える頃にゴジラはミレニアムシリーズで再び復活した。CG技術の向上で、より多様な戦いを見せるようになったゴジラだが、それも長くは続かず、以降12年に亘り、日本のゴジラシリーズは潰えることとなった。

レジェンダリー版ゴジラで再び脚光を浴び、アメリカがなせるヒーロー物のゴジラとしてはひとつの答えが出た2014年に対し、シン・ゴジラは2016年という今の日本の情勢に置いて、レジェンダリー版の対極に位置する最適解とも言える内容だ。
巨大な生物に対する現代日本のシミュレーション。タクティカル要素が強い反面、人間ドラマは驚く程淡白だ。独特のリズムで展開されるカット。庵野監督らしい白割明朝体のテロップの連続。鷺巣詩郎の音楽。
アニメ史上において最大級にめんどくさい作品でもあるエヴァンゲリオンの監督がメガホンを握った今作。当然ながら、「よさ」を理解するまでの工程が尽くめんどくさいのである。
この「めんどくさい」は、庵野監督という人間がどういう作品を手掛けてきて、どういう人生を背負ってきてたかを追っていれば、途端にすんなり飲み込めてしまう。 誤解を恐れずに言うと、ゴジラの知識もエヴァの知識も全くゼロの状態でシン・ゴジラを見ても、恐らくある一定のラインまでは作品を楽しめることができるだろう。しかしこの作品の真髄はそこではない。映画オタク、アニメオタク、或いは検証オタク。そのどれもを巻き込んで唸らせる可能性がある。
いわば「庵野ナイズ」された映像はいずれも凄まじい情報量であり、緻密な取材を基に製作された政府高官・幕僚達の会議や、自衛隊の都心での戦闘シーンは、リアルを飛び越えてリアルさを感じさせてくる。ゴジラ以外のファンタジー要素は皆無となり、いよいよもって人類はゴジラに絶望するしかなくなる。 ここがシン・ゴジラ最大の面白い所であると同時に、見る側の心を揺さぶる唯一エモーショナルな部分である。 もちろん往年のゴジラファンに嬉しい演出だったり、エヴァファンにもしっかりサービスするような思わせぶりな部分もあるが、それらは二の次。

繰り返すが、シン・ゴジラに物語はない。これは緻密に計算されたドキュメンタリーだ。IMAXシアターでの観賞はさすがの迫力だったが、CGや映像技術が、昨今のハリウッド映画らと比較するのも酷だが、かと言って特別優れているわけでもない。見る人にとっては何の感動すら残さない可能性のある映像の連続体である。ただこの形のないメッセージ=虚構を持った映像が、登場人物の仕草や言動が、そしてゴジラという存在だけが持ち得る矜持が我々今を生きる人の心に届くのならば、それは庵野監督の勝利である。

ゴジラは再び日本を破壊しに来た。その膨大な記録がシン・ゴジラである。
極めてストイックであり、真髄に至るまでリピートしたい作品。 必見です。

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今はただひたすらシン・ゴジラの玩具が欲しい(右脳直結思考)
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