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「楽園追放 -Expelled from Paradise-」における脳内麻薬の終着点について 

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『現代におけるフルCG表現の臨界突破』
『豪華スタッフ集結、サイバーパンク時代再到来』

そんな耳慣れたワードだけに留まってはいけない。もっと危険な因子を見てしまった気がする。


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今週頭ほどに見てきた「楽園追放 -Expelled from Paradise-」、打ちのめされたとしか言えません。
水島精二×虚淵玄というビッグネームがタッグを組んで何かやらかした、という事前情報しかインプットせずに、劇場にフォロワーさんと足を運んだのが運命の尽き。見終わってから何とも言えない心地よさと熱に浮かれ、帰宅してから既に劇場先行販売されて完売したブルーレイをアマゾンで予約。関連書籍も軒並み注文し、熱を冷ましてはいけないと言わんばかりの衝動に今も駆られています。

昔からこういった劇場作品に対して、見終わった後に自分の中から生まれ出た感情を文章という記号に置き換える作業は、なるべく避けてきたきらいがあるのですが、ちょっと今回ばかりは抑えられそうにない。


だって可能性感じたんだ。

※過分に本編を見終えた人向けへの文章になっていますが、細々としたネタバレについてはここでは可能な限り避けようと思います。



結論から言うと、とことんまで突き詰めたエンターテイメント作品。
多分、自分が見終わった直後に感じた「心地よさと熱」は、そのとことんまで突き詰めたエンターテイメント性が故に、すっきり終わってくれたというところに起因するのだと思います。
ただ本編の内容、それこそ電脳空間ディーヴァの誕生や、物語の鍵であるフロンティアセッター計画等々、いくらでもサイドストーリーやスピンオフが盛り込めそうな要素を孕んでいるあたりは、非常にずるい作りになっているというか、まだまだこの世界は終わっちゃいないと思わせる構造になっているので、ますます期待が膨らんでしまう。この点で、最近のハリウッド産MARVELキャラクター映画と似たような形なので、「1本見終わってすっきり!」する分には十分にもってこいな締め方だし、我々ユーザーが望めば、いくらでも作品展開やグッズ展開があるんじゃないかと、思わせぶりな気にさせてくれる感覚に陥ってしまう。ましてや北米での公開が決定した今になってみれば、今後も何かしらのコンテンツ形態で息を長くしない手はないでしょう。


最初の冒頭を見た限りでは、主人公のアンジェラにスポットがおかれ、やはり彼女を中心に物語の軸が連なっていくんだろうなということは、誰の目にも見てとれます。我々オタク男子の抱く浅ましい欲望を煮しめて、フルCGにおとしこみ具現化した美貌を纏った美女エージェントかと思いきや、その肉体は電脳演算が作り上げたマテリアルボディで、任務に必要とあらば外見年齢をまだあどけないティーンの色気にまで後退させることもできるとか(劇中では時間に迫られてマテリアルボディの生成を早めたという都合になっているが)、もはや卑怯。
その上、彼女の声帯をつかさどるのが、喜怒哀楽・成熟と幼さの感情表現においては、今の声優界において右に出る者はいないと思われる、釘宮理恵その人。
幼くも危険で艶めかしい色気を包むサイバーなスーツ、たなびく金髪、C.V.釘宮理恵。アニメキャラクターを占める構成材料において、凡そこれだけの要素が揃えば、ノックアウトされるには十分すぎるディテール。

それだけならよかった。冒頭であろうことかいきなりアンジェラの生乳首が拝めたり、機動外骨格アーハンに乗り込んでの戦闘シーンともなれば、カメラが舐めまわすようにアンジェラのシルエットを追う。

加えて、宇宙上のコロニーで電脳進化を遂げた人類と、進化から取り残され荒廃した大地が広がる地球という相反する世界観。どこかで聞いたような単語で括られる組織や専門用語。多分、自分が中学生時分に見ようものなら、大いに影響されそうなワードの数々で占められたビジュアル。

本当にかいつまんで見るだけの作品なら、それだけでもよかった。
それだけなら「アンジェラ最高~1番大好きな釘宮理恵です!」で自分の中で終わっていた筈だった。世界観設定についても、存外真新しいという印象は受けなかった。
でも、ここで言いたいのはそういうことじゃないんです。


スター・ウォーズの旧作(いわゆるエピソード4~エピソード6)が、70年代後半から80年代にかけて世界的なブームとなり、やがて90年代に入って満を持してエピソード1/ファントム・メナスが最新のVFX満載で上映された頃、ルーカスが漏らしたあまりにも有名な話の1つに、「旧作の製作当時のCG技術では、僕の描くエピソード1から連なる物語は表現できなかった。だからVFX技術が進化を遂げた今のタイミングでエピソード1を作った」というものがある。
実際にエピソード1は、ほぼ全編に亘ってVFX満載のフィルムとなり、旧作が放つ画面の情報量とは次元の違う段階にまで引き上げられ、ファントム・メナス上映当時は自分も度胆を抜かれた。それらを活かしてか、後々になって旧作のエピソード4~エピソード6にも、エピソード1以降のVFXのエッセンスを取り入れて度々のリメイクが行われ、各エピソード間の世界観の整合性を保とうとしてきた経緯もあります。
(敢えて付け加えるなら、自分はエピソード6の放映当時はまだ影も形もない存在だったし、やはりスター・ウォーズで一番好きなエピソードは、ストーリーやVFX諸々ひっくるめて「帝国の逆襲」。)

これが今回の「楽園追放」と何が関係しているのか。つまるところ、自分がピンク色の脳味噌をこねくり回して感想をしたためるに至った衝動の原因。
ジョージ・ルーカスが漏らした「映像技術の成熟を待ってから製作を開始したエピソード1以降にまつわるエトセトラ」と、全く真逆のケミストリーを「楽園追放」が成し得てしまったからではないかということ。


「楽園追放」の劇場パンフレット、および製作者側のTwitter上での発言を見るに、全編フルCGでありながら、キャラクターの感情変化に伴う表情の出し方には、手付けの作業が施されている。それは非常にチャレンジな試みであったが故に、アンジェラが笑い、落ち込み、怒り、ディンゴの悲壮、諦め、生き様が、プリミティブに伝わってくる。
自分はおよそ今まで、日本産のCGアニメーションにおいて、とりわけ「これほどまでオタク向けに生成されたCGアニメ」の中で、感情表現がバラエティーに富んだ作品を見たことがない。勿論、CGアニメの表現技術云々の話になると、ディズニーとかピクサーとかが代名詞として出てくるだろうけども、それらと「楽園追放」、もっと言えばVFXを担当したグラフィニカ社が志向した方向性とは、また違った世界の話になると思う。
さらに付け加えるなら、そういった人間の姿をしたCGキャラクター達の生の感情が、映像の情報にごく自然に、プリミティブに刷り込まれた結果、フロンティアセッターの挙動や唱えるメッセージ性さえもが、生きた情報記号となってくる。本編を見た人ならわかると思うけど、フロンティアセッターが繰り返し手を振って言ったセリフ。あれがまさに"そのもの"です。

つまり、一見フルCGに見える世界のそこかしこに、アニメーターやグラフィッカーによる生の手付け作業が付け加えられ、映像技術の表現の伸びしろをグッと得た本作は、脚本を手掛けた虚淵玄のプロットを難なく内包。有無を言わさない虚淵玄氏の筆致と合わさった時、ちょっと今までの日本のCGアニメにはなかったケミストリーが起こってしまったのではないか。あらかじめ与えられた地盤が今までにない可能性を秘めていて、結果的に既存の概念から一歩外側に飛び出す形となった。
無論、これは自分個人の妄想で描いた例え話に過ぎないし、ハリウッドの制作現場と土俵こそ違うのは大前提。
しかしルーカスのように、「世界を構築したいからハリウッドの技術が進歩するまで時を待った」のではなく、「今の時代でできるCGレンダリング技術とそれを表現できる環境が整いました」+「そこに気鋭の脚本家のプロットを流し込みました」×「フルCGにさらに手付けで人物に表情を与えてチャレンジしました」=「現在進行発展形の技術の作品」として、違和感なく古い殻を「楽園追放」は破れたように思います。

劇場パンフの演出家の京田知巳氏のインタビュー内で、「隣のスクリーンでハリウッドの超大作映画が上映されていたとしても、それでも楽園追放を見てよかったと言われる絵作りをしたい」という行がありますが、この点においてはまさにその絵作りがフィルムに表れています。こと技術面の進化ばかりが綺麗ごとのコマーシャルのように持て囃される映像業界において、ルーカスのファントム・メナス製作当時に漏らしたジレンマと、真逆の性質を持って完成してしまったのが、「楽園追放 -Expelled from Paradise-」なのではないか、というお話です。


勿論、キャラクター表現のフォーカスだけに留まらず、アーハンでの戦闘シーンには板野サーカスあり、大気圏突入あり、緻密なメカディテールありと、ロボットアニメ好きなら琴線に振れるであろうエッセンスは当然のごとく盛り込まれており、それらはPVを通しても伝わってくると思う。
個人的にはあと一歩、例えるなら上記の「板野サーカス」という括りでまとめられるようなものではなく、アーハンでの戦闘シーンで他にはない変わり種を見たかったという気持ちも、なくはないです。だけど序盤でアンジェラが乗ってきたアーハンを手放すまでの一連の流れ。あれには「ロックだな!」という感嘆と共に意表を突かれたと同時に、虚淵氏らしいテイストで序盤の話の進行軸を、視聴者が予想するであろう方向とは180°反対に振ってきたポイントであったことを付け加えておきたいです。


物語の結末は、ある意味笑ってしまうような、誤解を恐れずに言えば、一種の「くさい」演出でもって締められる。
少なくとも自分はエンドロールに刺しかかる直前のシーンで、「オイオイちょっと待て、こういう演出にしちゃう!?」と、内心半笑い状態でした。にも関わらず、涙腺がちょっとだけ緩んでいた。恐らくそれは、脚本の虚淵氏が巧妙に仕掛け、物語後半までに撒かれていたパズルのピースが、結末においてその「存在証明」を成したのがこの目に見えたからなのではないか…。
と、まだ1度劇場で観た限りの感想なので、深く理由を探るにはもっと見直さないといけないし、そういうことにしておきたいと思うのが、見終わった後の脳内麻薬で麻痺した思考に沈みながら自分が打ち出した、正直な落しどころです。


劇場を出てフォロワーさんと感想を投げ合う帰り道、こんな話をしました。

こと虚淵玄氏の作品においては、

「醤油ラーメンを頼めばきちんと醤油ラーメンが出てくる。でもその醤油ラーメンの丼には、厚切りのチャーシューやらワンタンまでもが入っている。」

ヴェドゴニアしかり、まどか☆マギカしかり、Fate/Zeroしかり、鎧武しかり。こんな比喩が似合うのは虚淵玄氏ならではだと思います(何様だ)。

で、冒頭にも書いたように北米公開も決定した「楽園追放」。正直、この作風が海の向こうで高い評価を得るかどうか、考えるとなぜか「う~んどうだろ…」っていう気はします。何でだろうね。
海の向こうにもブッチーの作風を高く評価する熱烈なファンがいるのは知っているけれど、自分の感覚からすると「楽園追放」は、日本人向けに強く味付けしすぎてる感があるような気がします。ドラクエは日本国内だと不動のRPGタイトルだけど、海外ではそこまで評価を得られないジレンマに似ているような。ともあれ、海の向こうでどんな評価を叩きだして来るのか、楽しみでもあります。


とまぁこんな感じで…。多分突けばボロが相当出てくるであろう、長々としたためた割には薄っぺらい個人的な感想を最後まで読んでいただいた方。願わくば「最高か!」と思えるこの作品の「存在証明」をシェアできればと、祈るばかりです。

意識高すぎて性に合わない文章ばかり書いたから、また来週劇場に行って楽園から追放されてこよ。



※追記
「楽園追放」とは関係ないですが、感想の中で触れた「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」に関する動画で、面白いものを拾いました。



これ、いわゆる帝国の逆襲を今風の映画の予告調にアレンジしたもの。本国サイトのJedi Newsでも取り上げられていますが、作ったのはキャメロン・アリギオーニさん。New fan madeと動画に銘打ってあるので、ルーカス・フィルムの関係者ではなくファンのアレンジ。
上映から時間が経った今だからこそできる、「作品の魅せ方」の片鱗みたいなのが詰められていると思います。
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